□ 月を見ているのならば君のものへ □



こんなことありえるのだろうか。驚くことに我が家に入ろうとした香港は今自分に起きているであろう事に疑問を持たずにはいられなかった
「マジかよ、マジか・・・・・ありえねー」
家の目の前も目の前である。ドアの前でがっかりと肩を落とすしかなかった。鍵がないのでは家には入れない
何かの間違えではないかともう一度ごそごそポケットやら、買ってきた食材の紙袋やらを探すがお目当てのキーは見つからない
紛れもなく忘れたのだ家の中に。
「珍しくイギリスが後に出たりすっからいけねーんだよ。いつも俺が戸締りするから鍵なんて忘れるわけないのに」
自分の失敗を恋人であるイギリスのせいにはしたものの、家に入れない事実は変わらず逆に恋人のせいにした罪悪感がわく
「はぁ・・・・せっかく今日はいい食材が手に入ったからうまいものができると思ってテンション超上がったのにさ」
ぶつぶつ独り言を言いながら紙袋に入っている色とりどりの食材をみて恨めしそうにつぶやくしかできない事に尚更テンションが下がってしょうがない
幸いなことと言えば今が夕方だということだろうか。昼間にこの状態になったものなら食材は全滅しかねなかった。しかし、日も落ち気温も下がり、涼しい風が頬を掠めていく。
「不幸中の幸いってヤツですか」
誰の返答もないことにイラつく。
立っていても疲れるだけなので、座ることにした。抱えていた紙袋は傍らに置いて、ふと見上げると月が雲間から出てきた。
「日が沈んで暗くなるのも早くなったなぁ。っていうか結構真っ暗なんですけど」
街灯のおかげで身動きとれない程の黒さではないものの、薄ぼんやり光る街灯のあかりは明確に遠くまで見渡せる程の昼間とは明らかに 違う
手持ち無沙汰から足元にある草をむしったり、石ころを掴んで転がしてみたりするがすぐに飽きてしまう。いきなりする事がなくなり、したいこともできない状態になった
誰かがこの状態を打破してくれるとしたらそれはイギリスだけ。鍵をもっているのはイギリスだけだからだ。そんなことを考えると頭がイギリスでいっぱいになってしまった。いつもいつもイギリスのことでいっぱいいっぱいの自分には困った状態だった。あの人の隣にいつもいたくて側にいたい。これ以上占領されてしまったら俺はどうなるんだろう・・・そう考えた。日々生活していてもあの人を考えてはいるけれど、どこか隅に追いやっている気がする。それが今はダイレクトにど真ん中なのだ
「早く帰ってきてくんないかな」
呟く言葉に力はあまり入らないけれど、気持ちはこれでもかって程入っている。



今は何時なんだろうか。ふと気がつけばどうやら寝ていたみたいだ。
「やべ・・・普通に寝てた・・・」
あれからどれだけの時間が経ったのかまったくわからない。時間が知りたくても腕時計なんて持ってないし、窓から家の中は覗けても時計の配置されている場所は見えなかった。
時計が見えないかと、窓の近くまでいってぐるぐるして見たものの結局時間はわからなかった。わかることといえば寝る前より暗さが増したということぐらいで、見上げれば月は変わらずの形。ふと物音がして振り返ってみるが、風の仕業で草木がざわざわっとしただけだった。
帰ってくるはずの人間が帰ってこない
帰ってくることはわかっている。時間が経てば嫌味を言いながら、俺をバカにして鍵をあけてくれるであろう人。わかっているのにどうしてこんなに不安になるんだろう。突然のアクシデントは自分が招いたものだし、こんな格好正直見せたくないし、連絡なんて取って彼の仕事の妨げになるなんてもっと嫌だった。ならば別に待てばいいだけの話。
なのにとてつもなく寂しい
ど真ん中にイギリスを置いてしまうと、側にいないことの寂しさがこみ上げて来てどうしようもないのに今の状況だと何もこの感情を紛らわせることができなくて苦しい。ただ苦しくてしょうがない。
彼がいなくなってしまったら本当に自分はどうなってしまうんだろうなんてちょっといい加減に考えてみたことはあったけれど、それが現実にならないという補償はどこにもないのだ。そんなネガティブな考えが頭の中を駆け巡ったので、ぶんっと頭を振って「帰ってくる帰ってくる。イギリスはどこにもいかない」という暗示に近い言葉をはいていた


見上げれば月 満月だった。雲に隠れて僅かしか見えない形に寂しさを感じる。今ここにいる俺を照らすのは月だけで、帰ってくる彼を照らしているのも月。この共通点のみで繋がっている気がして、その光が消えることで自分の中の希望さえも消されるような気分になる。
「やだやだこんなこと考えたってしょうがない」あげていた頭を下げ蹲るような形でここでも自己暗示をしてみる。けれどそれでも自分も月も変わらない。寂しさだけ募る。
「かっこわりぃホントかっこわりぃ」
自分はあれから何一つ成長できてないのだと思い知らされる。たったこれだけのアクシデントで不安になり、最悪の事態まで脳内で進んでしまう。それは彼を信じ切れていない自分の弱さのせいであり、己自身の未熟さからくる甘えを日々どうにかしようと奮闘してみてはすぐにはどうにもならないことへのもどかしさからくる焦燥感かもしれない。ぱっと魔法のように解決できたならこれ程弱くはならないのだろうか、否解決できたところできっと新しい問題が出てくる気がする。よってこれは避けられないことであり、彼の側にいたいという自分の欲望の代償なのかもしれない。ならば問題へ次々とぶち当たっていくしかほかない彼を手放すことは自分にはできない。彼から手放されることはあったとしても。


バシっ!
がくっと頭が太ももの間に入り、地面にぶつけそうになる寸前で止めた
「お前は何してんだこんなとこで」
「あ、イギリス?」
「なんで疑問系なんだアホが」
目の前にいるイギリスをきちんと理解できない状況の中なのに気づいていたら強く抱きしめていて、深呼吸してイギリスを自分の中に取り込むかのように息をした。間違いないイギリスだ。大事で大好きで俺の恋人が帰ってきたことに泣きそうだった。
「あ、わかった。鍵忘れたんだろうーバッカだなーお前。って今まで待ってたのか?!」
「あーうん」
珍しく抱きついても騒がないことをいいことに顔を近づけてみる。
「食材危ないだろ!!!早く入るぞ」
俺より食べ物が大事なのかよと悪態をつきたくなる衝動をいつもなら抑えられるが、今日はできなかった
「イギリスがいないだけで俺ダメんなるよ。かっこわりぃのに。クソ」
それもこんなかっこ悪い告白みたいな形で吐露してしまった。脈絡もなくて、暴走してるとしかいいようがなく呆れられてもしょうがない状況になってしまったけれど、香港にはそんな後処理のことまで考えている余裕が全くなかったというか考えてさえいなかった
「あーホントかっこわりいなお前はいっつもいっつも」
呆れてため息でもつきそうにイギリスは言った。傍らに置いてあった紙袋を持ち上げ、鍵をさし、開錠して家の中に入る。香港はまだ外でイギリスには背を向けたまま立っていてやっと振り返ると
「それでも・・・俺はお前んとこに帰ってくるよ・・絶対」
けして香港の目を見て言ってはくれなかったがこの上なく嬉しい言葉が香港の足を動かした
「イギリス!!!!!!」
喜びのあまりイギリスに飛びついた香港。その勢いで家の中に入ってしまった。



勢いついででキスをしたことに腹を立てたイギリスをなだめるために香港が精一杯買った食材で料理を振舞ったことは香港の新しい記憶に刻まれた。